みなとみらいや中華街へのアクセス便利!横浜で人気の山下公園
ザ・ゲートホテル横浜の真向かいにある、横浜で人気の公園・山下公園をご紹介します。山下公園は全長約700m、目の前に海が広がる公園です。バラ園や多彩なモニュメントがあり、また公園内外では不定期でイベントも催されて見どころいっぱい。周辺にはカフェや人気ランチ店が点在し、横浜中華街へは徒歩圏内です。
山下公園は絶好の夜景スポット
夕暮れの頃から、山下公園は夜景スポットに変わります。西を向けば、象の鼻パークや大さん橋、その向こうにはみなとみらいのイルミネーションまで、きらびやかな夜景が一望できます。そして南に目を向ければ、歴史あるホテルや横浜マリンタワーのライトアップシーン。海では氷川丸もイルミネーションで美しくドレスアップしています。

山下公園の東側に位置したアートな広場「世界の広場」と「水の階段」
山下公園の東側には「世界の広場」と「水の階段」があります。世界の広場は、世界6大陸へとのびる道をデザイン化されました。壁やベンチに至るまで装飾や細工がされていて、花壇に咲く花々とのコントランスが実にアーティスティックです。


世界の広場から続くモザイクタイルの水路が印象的な水の階段
すぐ西へ足を進めると「水の階段」エリアです。噴水プールの水が階段中央部の水路を通るつくりです。水があるときは、モザイクタイルで制作されたれたクジラ、マンボウ、カニなど、海の生き物たちが生き生きと見えることでしょう。


水の階段の終点の石のステージには、大きく口を広げた巨大魚が!
水の階段を降りた先にあるのは「石のステージ」と呼ばれるエリアです。山下公園内のおまつり広場や未来のバラ園まで見渡すことができます。穴場ビュースポットかもしれません。ふと水の階段へと振り返ると、大きな口を広げた巨大魚を発見!訪ねた当日及びしばらくは水システム調整のためお休みのようですが、水が流れ出すと巨大魚の辺りは噴水と滝が現れて、水の世界が広がるのだそうです。

山下公園はバラの名所でもあります!約160種のバラが咲く「未来のバラ園」
咲き誇るバラと港の景色が共演する園内を歩いてみませんか
山下公園のほぼ中央部に「未来のバラ園」があります。総面積約5,500㎡のこのバラ園には約160種1,900株のバラが植えられていて、特に5~6月の初夏と10月~11初旬の秋の時期が見ごろです。

バラをより美しく見せる巧みなレイアウトも未来バラ園の魅力
未来のバラ園をより美しく見せている秘密は巧みなレイアウトです。バラ園中央は白いバラを中心にして、周りを鮮やかな色の花を配しています。フランスの庭園をイメージさせるようなデザインとレイアウトです。ローズポールやローズゲートのつるバラ、そしてスタンダードのバラを巧みに配し、全体が立体的で見応えあるように整えられています。



山下公園ほぼ中央に位置。友好の絆に潤う泉に立つ「水の守護神」
水の守護神を中心に水と花が共演する市民憩いの場
山下公園を散歩していると、いくつもの記念碑や像が目に留まります。未来のバラ園そばにある「水の守護神」もその一つ。山下公園中央口の信号からすぐの場所です。この像は横浜市の姉妹都市である、アメリカ・サンディエゴ市から贈られました。像が立つ噴水のある池は、姉妹都市提携50年を機に「友好の泉」と命名されました。天気の良い日は、この泉を囲むように人々がくつろいでいる姿が見られるなど、市民憩いの場です。


国指定重要文化財の貨客船「氷川丸」
歴史ある船内を堪能した後は、屋外デッキから横浜港の景色も楽しもう
氷川丸は日本郵船が1930年にシアトル航路用に建造しました。戦前に国内で建造され、戦禍を生き延び現存する、当時の日本を代表する貨客船です。1960年の引退後、山下公園に係留され、2008年に「日本郵船氷川丸」としてリニューアルオープンしました。
船内に足を進めると、一等特別室をはじめとする客船エリア、操舵室・機関室を展示した乗組員エリア、そして氷川丸の歴史を紹介する展示エリアを見ることができます。
内装や調度品の美しさは、まるで映画のワンシーンを連想させる華やかさです。屋外デッキに上れば、山下公園、横浜マリンタワー、みなとみらいなど、横浜港の景色が一望できます。

日本郵船氷川丸
- 住所:231-0023 神奈川県横浜市中区山下町山下公園地先
- TEL:045-641-4362
- URL:https://hikawamaru.nyk.com/
- 開館時間:10:00~17:00(最終入館16:30まで)
- 休館日:月曜日(※祝日の場合は開館、翌平日休館)
関東大震災時にインド人を救済した返礼として寄贈された「インド水塔」
緻密なデザインで建築物としても高い評価
山下公園西端には「インド水塔」があります。関東大震災の際に横浜市がインド人をはじめとする外国人の救済措置を積極的に講じた返礼として、昭和14年にこのインド水塔贈呈式が行われ、寄贈されました。このインド水塔は、細部まで緻密なデザインが施されていて、建築物として高い評価を受けています。



山下公園 その他の見どころ「赤い靴はいてた女の子像」と「かもめの水兵さんの歌碑」
童謡「赤い靴」に登場する少女・赤い靴はいてた女の子像
野口雨情作詞、本居長世作曲の童謡「赤い靴」は、1922(大正11)年に発表されました。詩には「横浜の埠頭(はとば)から…」の一節があり、横浜との縁の深さを感じるさせてくれます。「赤い靴はいてた女の子像」の周りは四季折々の花々が咲く花壇になっていて、女の子象の目線の先には陽光きらめく横浜港があります。像の場所は、山下公園の西側、インド水塔より公園中心寄りです。多くの観光客が入れ替わりで記念撮影に足を止めています。

山下公園ゆかりの童謡・かもめの水兵さんの歌碑
氷川丸乗船場から少し西側へ歩いた場所に「かもめの水兵さんの歌碑」があります。かもめの水兵さんは、武内俊子作詞、河村光陽作曲の童謡。1937(昭和12)年に発表されました。詩は、ハワイに旅立つ叔父さんを波止場で見送る際、武内さんの印象に残った光景を綴ったものだそうです。その時の様子と印象が碑に刻まれています。

山下公園の歴史
外国人慰留地だった山下町一帯
山下公園が造園される以前、幕末から明治期にかけての横浜山下町一帯は外国人慰留地であったため、外国人向けのホテルや飲食店などが立ち並ぶ場所でした。やがて欧米列強国にあるような都市計画の考え方が日本に伝わり、明治後期には横浜でも欧米的な都市計画調査がはじまったそうです。そんな中で起こったのが関東大震災(1923[大正12]年)でした。
震災の瓦礫で海を埋め立て造園した山下公園
横浜市街地は甚大な被害を受け、市街地には大量の瓦礫があふれ返りました。復興最優先の中、大量の瓦礫を処分する案として、以前に検討されていた海岸遊歩道案が復活したそうです。海岸通り海側前面に4年がかりで瓦礫を埋め立てし、その上を良質な土で覆土して海岸遊歩道を造成。そして1930(昭和5)年、「山下公園」として開園しました。


▼DATA
施設名:山下公園
住所:231-0023 神奈川県横浜市中区山下町279
TEL:045-671-3648(横浜市都心部公園担当)
開園時間:24時間
休園日:なし